今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

表現に伴う気持ち


スポンサードリンク

 Aさんを見ていて、この人はどちらが本心なのだろう。と思いながら観察しています。

 

 Aさんは女性です。礼節をわきまえている人なのかと思っていたけれど、実はそうではないのではと感じ始めてます。印象は気が強い。その上で、礼節があるかないかいから見えてくるが観察ポイントです。

 

 具体的な事例を話します。Aさんはご自分の事情で長くお休みをしていました。職場復帰する時に、所属のメンバーに過分(と私は感じる金額感)のお土産のようなものをくれました。行く前に壮行のプレゼントをもらっていたからそのお返しの意味もあったのかもしれません。その姿を見て、礼節をわきまえている人なのだと思いました。

 

 私はAさんの様子を見て、自分の都合で休んだことへのまわりへの気持ちをあらわし、また仲間として働きたいと思っている、それを形で示しているのかなと感じました。

 

 ですが、そのような視点で見てみると幾分?なところがあります。例えば、職場のメンバーがグループ共通の媒体に小さな発信をすると、それにリアクションをします。

 

 それが発信されると、私は余程のことがない限り反応をします。メンバーには病気で休む人、個人の所用で銀行に行く人、電車が遅れて遅刻してしまう人、いろいろいます。自分が発信者の立場に立つと、周りに迷惑をかけて悪いなと思う気持ちで発信しているので、それに反応するだけでも発信した人は安心します。また、そのちょっとした発信がお互いのコミュニケーションのきっかけになることがあります。

 

 大概の人は、よほど忙しくない限り、発信に対して反応しています。ですが、Aさんの反応率は低い。Aさん自身に余裕がないのかもしれません。

 

 人間同士のコミュニケーションって、疎通して成り立つものだと思います。私は過分なプレゼントをもらうよりも、日常的に小さなコミュニケーションがある人の方が親近感や相手が自分を気にかけてくれているように感じます。

 

 それも含めて相手がどう感じるかは、相手が感じること。相手が自分をどう感じるかを操作することはできません。自分がどう思うかを操作されようとすると違和感が残るのだともいます。

 

 Aさんが本当のところどういう人なのかはそのうちわかってくるでしょう。私は私が感じたことが全てで、Aさんとどう付き合いたいかを判断すればいい。それだけの話です。

 

 人はいろいろな人がいます。Aさんと私は別の人です。小さな発疹に反応する人も、相手とのコミュニケーションでやる人もいれば、周りから何か余計なことを言われないように、形だけ反応して中身は見ていない人、面倒だから反応しない人。いろいろいます。

 

 私も相手を見て反応を変えているところはあります。しかし私は礼儀をわきまえている人でありたい。人に対して敬意を表れる人でありたい。


スポンサードリンク