今私が関わっている仕事の一つ、その仕事では私は中心的な役割を担っています。びっくりするほど長い期間停滞しています。
1つは他部署から提供された数字、データが誤っていたこと。そのことをリカバリーするために、誤っていた原因と対応策を提出するようにお願いしています。
もう1つは、技術的なことだったり、関係者のコミュニケーションが滞り前に進んでいない。わかっている人が教えてあげれば進むことなのに、関わろうとしない。また、問い合わせをしても返事をしてこない。そんなことから遅れています。
誤ったデータを提供する、コミュニケーションが取れていない。これは、その人の意識の中で、その仕事をやることになにかしらの心理的抵抗があるということなのでしょう。それと、その人自身はそれが進まなくても「困らない」。やらないで済ませようとしているように感じます。
それでいつまでも返事を保留にし、こちらから催促すると連絡しますというものの、してきません。最近その態度から対応する気がないということがわかってきました。
相手方の事情を慮り、適度に協力し合うことは大切ですが、相手に返事もろくにできない人は信用に値しません。
というように、私は他人の責任を自分から切り離しました。私はできることをやったのだからそれでいい。また、私はその他人を信頼しなくなりました。なので、相手が協力して欲しいというときも、自分ができること以上の努力はもうしない。徐々に関係を薄くしていきます。
ネックとなる人は2人います。うち1人はこのことが終われば仕事で関わることもないので、縁が切れます。もう1人は比較的信頼している人でしたが、今回の1件で見方が変わりました。これも、この後、信頼しない、期待しない。相手から協力を求められた時に、相手への信頼からプラスアルファの対応をしていましたが、それもやめます。
それでも困らないのです。仕事の関係は、仕事が変われば縁が薄くなるし、プライベートで関与する事はありませんから何も困りません。
こんな人たちのために、自分がつまらない気持ちでいたこと、本当に心を痛めていたこと、それは自分にとってプラスのことではなかった。相手にある程度働きかける、自分ができることをやって前に進まないなら、それは自分の責任ではない。目の前の事象はそれを学ぶために起きている。その学びが終わったら、こういう事は気にならなくなる。
これは9月に書いた記事でした。まだ終わりませんが、年が明けてしまうのでこの辺りで投稿します。