三段活用のようなタイトルです。力になってくれていると思っている人も聖戦君主ではない。実は、私を自分より力のない人と位置付けることで、自分を律しているんじゃないか。と感じることがありました。
その人は献身的な人です。自分が大変なのに、「周りの人が困っているお大変だから」と自ら渦中の栗を拾いに行く。よく言えば、そうやって仕事を引き受けているけれど、他の人が仕事をする機会を奪っているともいえます。本人はそれには気づいていない。
そうやって人に必要とされることで、自分を律している。そうしないと自分を律しられないのかもしれません。
会社では、その会社内での序列があります。メール等での依頼は、通常はその序列の順に並べるものです。
私の序列は会社の中で高くはありませんが、私よりも高くない人もいます。その人は、私を最後に扱います。
その人の補佐を頼まれたことを断ったら、「そこまでやったら、首が回らないよね」と言われました。あまり良い気持ちにはなりませんでした。
その人はいつまでも私を「心身のバランスを崩した人」として扱い続けるのだろうと。こう感じてしまうのは私の被害者妄想もあると思います
私は心身のバランスを崩したことで周りの人に迷惑をかけたと自覚しています。このように対応されると、心の中のひだを逆撫でされます。
でも、仕方ないですよね。相手がどのように自分を見るか、扱うかは、相手が決めること。私がその扱いを嫌だと感じるのは、私に引け目があるからです。
心身のバランスを崩したことも受け入れているし、その後の働き方は割り切っています。自分を認めているけれど、それに対して、批判されている感じると感じてしまう行動をされることが嫌です。
これは、他人からの期待に応えられていないと感じているのか。その人に今のありのままの自分を認めて、下に見ないでほしいと苛立ちを感じるのだと思います。
繰り返しになりますが、他人が自分をどうみるかはコントロールできません。自分がコントロールできることは、受け止め方やその人との付き合い方、距離感です。コントロールできないことは割り切り、切り離す。
こういうことは、どこにいても起きることです。今の環境だけの話ではありません。人は多様性があり、その人はそういう価値観で、悪気がないかもしれないけれど、自分の感じ方を話したとしても、無駄です。相手を変えようとしていることだから。
相手をそのまま受け止めることは、相手を尊重することでもあります。そして、自分の領域にも立ち入らせないことにつながります。