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決めることができない人


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 私は仕事の分担を変えてもらいましたが、今も中途半端。仕事の幹は他人、その枝葉の部分が私。切り出された一部が与えられている。私が残業をしないということがあっての中の分担。仕方ない部分もある。

 

 切り出された一部にはきちんと仕事をしてきた人のものもあるけれど、うち一つは面倒なのか、スキルが足りないのか、次にバトンタッチを受けた人が「つかいづらい」というものがある。使う人の目線やブラッシュアップがなされていなかったのです。

 

 他部署からの指摘を踏まえて、改善案を作り上司に説明をしました。具体的にはスキルが足りない人がやっていた内容をブラッシュアップする、それはそ顕在化した課題(スキルが足りなかった人がやっていなかったと感じられる事項で、他部署は気づくも上司は気がついていなかった事項)

 

 課題への対処は方針変更の一つ。上司に方向性を確認し承認を得る話だと思います。昨年までそれをやっていたスキルが足りない人に「変えること」に対する説明と同意が必要。

 

 私が個人の判断でやりたくない、おかしいと言っているものではない。この改善案で進めるなら、上司からスキルが足りない人に「変えること」を方針として決めたことを話してほしい。と伝えました。

 

 そうしたところ、決めない。細かいこだわり事項を言い始めました。この上司はものを「決めることができない」、このような指摘をスキルが足りない人にうまく伝えられない人だということを思い出しました。

 

 中途半端にかかわっていて、何かを改善しようとしても、こうなる。私が積極的に引き受けてまでやろうとする気持ちはないものの、この問題は私ではなく、上司、マネジメントの問題だと思う。

 

 私は自分の考えや案が正しいとも言い切れないので、方針を決めてほしいという話。潜在化していて問題を顕在化させても面倒なだけ。言われたことを合格点めざせばいいのに、余計なことを言ってしまいました。失敗です。

 

 少しでも主体的に仕事をさせてほしいといったけど、私の周りは残業をしない=仕事は残業しないとできない=残業することは仕事をやっている(成果を出している)と思っているように感じます。

 

 枝葉の部分を行う私が、幹の範囲に口をはさんだり、枝葉を決めたから、幹はこうしてほしいといっても、幹をつくるひとは迷惑だし、やりづらいとおもう。かといって、幹となる人が枝葉の部分を人にやってもらおうとするときは、やってもらうための説明や準備をするよりも自分でやった方が早い。その方が楽なこともわかる。

 

 全体がうまくいくには、私は「私に幹をやらせて」と自己主張するよりも、枝葉で合格点をとる方が仕事はうまく回ると思う。

 

 私が主体的にやりたくない言い訳を廻りのせいにしている部分もある。今までの自分であれば「おかしいから全部私がやる」という勢いでしたが、今はやる気もない。具体の仕事に対してそう思う面と、働くこと自体に対しての考え方が変わったこと、どちらの側面もある。今までとは異なる価値観、迷いを感じるのは当たり前。それでいい。




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