私は以前に比べても、周りと比べても業務量が少ないです。一方できちんと仕事をやろう(検証して成果を出すレベルまでやろう)と思えば3人区以上のことをしている人もいます。繁忙期には残業時間が多くて三六協定ギリギリまで働いている人もいます。
個人、もしかしたらチームとしてもやりきれない仕事量にことが進まない状態になっています。その原因は、上司の見立て(業務がわかっていない。人の力量がわかっていない。残業時間等をマネジメントでいない。)が甘いことにあると私は思います。
業務量を抱える方も、良く言えば、意欲があってどうにかしようとしている。悪く言えば、自分の能力を過信している。目の前のことを右から左に移動している。本質的な問題は変わらない。同じ状況が続き、どんどん時間が無くなっていきます。
そのやりきれない仕事について、上司は私にやるようにといいません。客観的に見て、業務量が少ない私がやれば、チーム内の担当の業務量平準化にはつながるとは思います。
結果その仕事に私でない人が関与することになりました。それを見て、私はがっかりというか切なくなりました。
「私は残業しない働き方を希望し、残業しないといっている。その上でやり方を工夫しようとしているけど、業務量は少ない。心身のバランスを崩した私にやらせるのは不安なのだろう。信頼されていないのだろう。私の業務量が少ないから、周りに迷惑をかけているのではないか」と感じたのです。
私の中で、私はできるだろうに声がかからないことは承認・期待されていない。私がいることが迷惑なんじゃないか、と感じているのです。
苦虫をかみつぶしたような気持ちでいながら、あれ、この切なさは心身のバランスを崩す前の頑張りすぎていた時の思考だと気づきました。
私に尋ねました。「その仕事をやりたいの?仕事増やしたいの?」答えは即答で「ノー」でした。
良くも悪くも「残業をしない」範囲で仕事をしている。自分の本心と同じ方向に進んでいるのです。
そして、「チームで力を合わせて乗り切ろう」と「業務量や個々人の裁量を見誤っておきている問題に、頑張る人が入る」という構図に違和感を感じるのです。しかし火中の栗を拾いに行く心意気はもうない。
以前はこういうことがあると数週間は「認められていない」、「期待されていない」自分には何かが足りないから「頑張らなきゃいけない」と引きづっていました
今回は、会社の中で承認されたい、周りに必要とされたい気持ちがあったことを感じながらも2時間後には気持ちが切り替わりました。
この出来事は神さまからのお試し試験。
自分が進みたい方向に進んでいるか、もとに戻ろうとしていないか。
このブログで文字化していくことで、「自分が本当に思う方向にことが進む」ということを実感じました。戸惑わず、このまま前に進みます。