今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

傍観者


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 例えば、目標を100に定めたとします。目標100に対して、結果が50の達成度だった場合この目標は達成されたのでしょうか。

 

 私はそれは達成されていない。もしくは100%に対して半分の達成、今後残りは半分をどうするかもしくは当初の目標設定が高すぎた。と言う話だと私は思います。

 

 どうやって見ても、私は目標が達成されていないと思うのです。

 

 参画者は結果が出るまで100%に近いところまで達成できると見込んでいて、結果が固まると最低目標はクリアしたと言い出しました。実績は半分以下なのに。

 

 普通に考えれば、私が聞いていた目標は達成できていないけど、言葉の通り最低限の目標があって、それを達成した。もしくは、結果ありきで最低目標はクリアしたことになったのか。参画者の中で曖昧なまま進んでいたのか。

 

 目標を達成できなかったのなら、なぜ達成できなかったのか。そもそも目標に対する設定が間違っていたのか、進め方が間違っていたのか、それを見極めない限り、同じことが繰り返されます。

 

 本当に理解できませんでしたが、何も言わずに観察をしています。その事象を遠巻きに見ています。

 

 参画者ではないからテレビドラマを見るように傍観者でいます。関係ない私が口を挟んでもおせっかいに過ぎません。良くわからない、理解できないことに対して自分の受け止め方、対応を学ぶ機会をいただいているのです。

 

 関係している人たちには、苦労して取り組んでいました。参画者が全力を尽くした結果は尊い。目標に対してではなく、成果があったことは事実なのだから、それはたたえるものだと思う。ですが、第三者(傍観者)がそれをたたえることも、批判することも、口を挟むことも違う気がする。

 

 参画者にしかわからないこと、傍観者には見えないことがたくさんある。傍観者のひとりである私の考えはひとつの見方にすぎない。正しいとも限らない中、口を挟むのではなく、傍観できるようになったことは私の成長だ。

 

 私が物事への対処の仕方が変わったということ。このまま自分を大切にすることを第一にします。


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