今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

頑張る人から見えたもの


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 一緒に仕事をしている人、なんでも完璧にやろうとする人がいます。心身のバランスを崩す前の自分のようです。

 

 その人は、わからないことを私に聞いてきます。良く言えば、周りに頼ることができる。悪く言えば、とりあえずやれれば良いと他人を頼る。客観的に見ると、仕事が多すぎて、一つ一つ考えてやる余裕がないのだと思います。

 

 質問をしてくる内容は、最初にやることを確認することでクリアできる内容。また、ちょっと立ち止まればわかる内容です。

 

 もともとはちゃんとしている人なので、余裕がないことに加えて、仕事を進める容量があまりよくないのだと思います。

 

 質問されたときに教えたことがその後の作業の中で反映できていなく、すべてやりなおしになってしまいました。

 

 その様子を見て、「2人で確認しながらやった方が早いし、確実だと思うので、一緒にやりましょうか」というと「いい、大丈夫。そんなに大変じゃないから」と言っていました。

 

 人を手伝うって難しいですね。私は自分が暇だから手伝わなきゃとも思います。手伝うことで自分の暇を解消しようとしているのです。

 

 私が相手に引け目を感じるのは、自分の仕事が少なくて暇だからです。自分が引け目を感じること自体は、相手に問題があるわけではありません。

 

 そのあと、その人は、昼休みを返上して、間違いを修正していました。以前の自分であれば、もし私がその人の立だったら、同じ行動をしていたと思います。

 

 また、昼休み返上して仕事するなんて偉いね。協力しなきゃ。とか、皆破らなきゃとか私も頑張らなきゃと思ったと思います。

 

 ですが、今は、そこまでしなくてもいいのに。と感じました。

 

 昼休みを取っても、行程がることで1時間遅れるだけです。ほかの仕事も遅れます。1日単位で見ても、どうしても昼休みにやらなくてはいけないということでもありません。

 

 結局は、本人が昼休みに仕事をしていることを選択しているのです。周りから見ると「頑張っている」ように見えます。

 

 私はリップサービスでも「頑張ります」と言わなくなりました。頑張ることがいいことだとは思わないからです。

 

 頑張るか頑張らないかは、その人が頑張りたければ頑張ればいいし、頑張りたくなければがんばらなければいいだけのこと。

 

 他人に「頑張ります」ということは、何のためにいうのでしょう。他人に頑張る自分を肯定してもらうため、それともアピールでしょうか。頑張りたいなら、黙って頑張ればいい。「頑張ります」という必要があるのでしょうか。

 

 なんとなく日本では、「頑張ります」ということは良いことの代名詞になっているように思います。

 

 その人はその人の事情や考え方で昼休みを返上しているだけで、忙しそうな人に私が引け目を感じるのは、私の問題なのです。私が「手伝いますか」と言う必要もなかったかもしれない。

 

 私が私の今の暇な状況を受け入れて、流せるようになればいいのだと思う。


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