①では、心身のバランスを崩す前は、正論を述べ実行するタイプ。しかし、上司の正論を受けとめ、正論をどのように実行するのか聞いてみたら、「難しい」という共通の認識が生まれたことを書きました。
今回私は上司の正論をカチッときながらも受け止めました。しかし、心身のバランスを崩す前だったら、「それが理想なのはわかるけれど、実際にやるにそればかりに対応することになり、他の業務ができない。どのようにしたらいいですか?」と食って掛かったと思います。
食って掛かられたら感情が先に出て、話は進みませんが、受け止めたことで、相手は現実的な落としどころを言えたのだと思います。
なぜ、私は、勝ちっと来て食って掛かっていたか。それは、「自分はこんなに一生懸命考えて言っているのに、なんでわかってくれないの?」と訴えたかったり、「私はダメじゃない」ということを証明したい方が先に出て、相手が言うことを受け入れられなかったのだと思います。
今思えば、自分自分を認められなかった画ばかりに、ずいぶんと損をしてきたのだろうと感じます。
もう一つ気づきがあります。このようなことが理解できるようになると、別の見方ができるようになります。
相手と打ち合わせをしていく中で、異なる価値観がぶつかることもあります。自分の言ったことを忘れてしまう人がいました。その人と共通の課題を4ヶ月位かけて話し合っています。その人の見解は大きく揺れています。
失礼ながら、もの忘れの度を越え病気なのかもしれないと思うこともありました。しかし今は、この人はこの人のなかですごく考えていて本当にどうしたらいいかわからなくて行ったり来たりしていることがわかってきました。
打ち合わせをしてきた内容は、この方の案を採用する方向になっています。私もそれで納得しています。この方はこの問題に対して、私より知見も経験もある。いわゆる「正論」でない解決で「清濁合わせのむ」。100%のリスクは回避できないけれど、リスクを抑えて現実的な落とし所の最大値となっています。
この方が打ち合わせの後「〇〇さん(私)の案を否定しているのではないからね。ただ考え方を横並びにした時に、別のリスクが発生すると考えたのだから」と言ってくれました。
今までならこのような言葉を素直に受け止められなかったと思う。「否定された」と思ったり、相手のことを「わかってない」と切り捨てていたかもしれません。
このように、自分はダメではないと突っ張り相手を切り捨てることは、私にとって良くないこと。相手にマイナスの印象を与えていたのだろうなとつくづく思います。
だけど、これは私には気づく必要がある問題だったのだと思う。「ダメではないと頑張る自分」を手放すことで、不要な頑張りをしなくなる。そして、相手のことも、そういう人と、怒り等,自分にネガティブな影響を与える気持ちが生まれなくなる。また相手を受け入れられるから、きっと相手も同じように私を受け入れられる。
このことがわかったことで、だいぶ楽に生きれるんじゃないかと感じています。