(誤った日にちで投稿してしまいました。教えてくださりありがとうございます!!!)
昨日はライオンズゲートが最大に開く日でした。本来は最も自分と向き合いたい日に公の所用がはいったことにどのような意味があるか、終わった後に、気がついていることを予測したことを記しました。その意味も考えました。
今日は実際に感じたことをしたためます。
公の所用が終わり次第、交通機関の時間を確認し、最短の時間で帰宅、帰宅途中は、公から私・個に気持ちを切り替えて帰宅しました。
帰宅後はすぐに湯船に浸かり、つかれをとり、息抜きをした後に短い時間でしたが、8月の科目習得試験の勉強をして就寝しました。
予測のほぼ8割はそのとおりでした。
予測と反していたことの2割について、1つ目は予測は終わった後にその時間が終わった後にホッとして、その時間が楽しかったことを実感していることでした。
実際には、終わったら、疲れたと感じていました。その時間のなかで楽しいこともありましたが、くだらない話を聞くことも疲れました。
そしてもう1つ感じたのは、私が相手に合わせて無理に気を遣わなかったこと。無理をして会話をする等、場をもりあげたり、相手のための行動はしませんでした。他にも公私混同じゃない?といろいろ思うことはありましたが、受け流しました。
そして、「疲れた」と感じる自分もそれでいいとも思いました。疲れたものは疲れたで、私がそう感じたのだからそれでいいのです。
その通りだったこと。それは、私は自分があると感じられたこと。公を終えた後はさっさと私・個に気持ちを切り替えていたこと、公を私・個に引きづらない。
今まではいろいろと頭でわかっていても、感情をきりかえることがきなくて引きずったり、こころの片隅に残っていたけれど、そういうことの切り替えがとっても早くなっています。
これは私がありたい姿になっている、私の基盤が整いつつあることです。
私・個において、ここちよいこと、私・個において望む姿に必要なことをどんどんと受け取っていく、選択していくことをすすめていくフェイズに進んだと思います。これからどんどん進みます。
ライオンズゲートが最大に開く日に公の所用があったことの意味は、私が次のフェイズに進む基礎基盤が整ったことを私自身が認めるためだったと思います。