今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

理不尽を映し出す鏡


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 私が理不尽と感じることを映し出す鏡になっている人がいる。その人は、私が欲しかったものを次々と手にしました。

 

 その人と私を比べても、私の方が優れている部分も結果を出している部分もあります。その人の方が優れていて、結果を出していることもあるでしょう。私には見えていないその人の素晴らしさもあるでしょう。

 

 私とその人の差は変えられないものです。会社という枠組みの中においては対等な比較対象ではありません。それがわかっていても私はその人に対して羨ましい気持ちと不満に思う気持ちがあります。以前に比べれば圧倒的に小さいですが理不尽は感じます。

 

 その人に対して怒りを感じることもあります。でもそれは、その人に対してではなく、彼女を通じて見える会社に対してかもしれません。

 

 2年前、怒りは第二感情という記事を書いていました。この頃は、心理学を学ぶ前の段階で「怒りは第二感情」ということを何かで読んで書いた記事です。第一感情がわかったら、何かが変わると書いていました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 2年前は、第一感情も認められなかったと思います。それを認めると自分が傷つくから。その人と自分を比べることで、自分の自己肯定感を自分が下げていたのだと思います。

 

 2年前と比べると、今では自分の第一感情は、認められないことへの辛さだったり、悲しさだったり、相手への羨ましさだったりと認めています。そして、その気持ちの根っこにあるものは自分はダメじゃないという思い。

 

 今は自分で自分をダメではないと思っています。私は自分のありのままをみとめ、自分を生きれるようになってきているのだと思います。

 

 今は、その人に対して良い感情を持っていないこともありのままにうけとめています。一方でその人の状態から心配に思う気持ちもあるけれど、その人にてを差し伸べたいとは思わない。

 

 その人にはその人の辛さがあるのでしょう。仮にそうであったとしても、相手の事情がどうであれ、私が良い感情を持っていないことは事実でそれでいいのです。

 

 腹立たしい気持ちはあるけれど、その人に対して「しない」と決めていることがあります。

 

 それは、その人を傷つけるかもしれないことは言わないことです。相手は大変な状況だとは思います。そしてそのことをその人自信が十分わかっています。それに対して、傷つけるかもしれない言葉は相手を痛めつけることになります。

 

 自分の価値判断基準で、相手を傷つけてしまうかもしれないことがわかっていてそれを言うのは自分のエゴでしかありません。怒りを感じ、気には障るけれど、そこまでその人に執着はない。それに、相手が傷つくと思って自分が言いたいことを言うような人間にはなりたくありません。

 

 すでにその人が手にしたものを私は欲しくありません。その人に対して怒りを感じる労力も時間も私にはプラスの影響を及ぼしません。なので怒りは感じても、早いタイミングで気持ちを切り替えられます。

 

 今毎日食べることができ、寝ることができる。自分がやりたいと思う勉強ができる。それが私の欲しいもので私の幸せです。


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