今日は恥ずかしい内容ですが、大切な気づきなので、こころの忘備録として書きます。
実名でSNSを積極的に発信している同世代の男性がいます。会ったこともお話したことも、このブログのように、SNSを通じて匿名で交流をしたこともありません。
その人は、SNSで自分が決めた道をストイックともいえるくらいに取り組む姿、生き物への姿勢や、日常の一コマ等バラエティに富んだ発信をしています。
生き物からその人の愛情と言うか人柄が伝わってくる人間らしい可愛らしさもあります。私が人として理想と感じる要素をたくさんお持ちです。
加えてその方と私は大きな共通点が2つありました。また、不思議なのですが、しばらくしてから、写真に映るその人の目、眼差しを過去にみたことがあるように感じたのです。いつ見たのかは思い出せません。直感でそう感じたのです。妄想ではないと思います。
その人のSNSを見る限り、ある種生活感がなく、1人で完結している感じから、もしかして独身かもと思い始めていました。
私はSNS上で実際にあったことがない人に想いを寄せたのです。朧げな目の記憶といい、理想とする要素を複数お持ちだったことといい、直感的に縁を感じたのです。
土日の満月にこの方にお会いできますように、ご縁がありますようにとお祈りしました。
バラエティに富む中で、関連するSNSを調べていきました。そうしたら、独身ではないことがわかりました。パートナーの存在が出てきたのです。昨日寝る前に見つけました。
生活感のなさは、それを支えるパートナーがいる。拠り所、基盤となる家庭があるということでした。加えてそのパートナーは、私が若い頃望んでいた豊かさを取り入れた暮らしをされていました。
儚く散った想いから感じたことがあります。
1つは、理想とする人に会えるチャンスが近づいてきたということです。
へこたれない前向き姿勢です(笑)。以前信頼できる方から、パートナーを探すなら、自分が思う理想を事細かに設定するといいと言われました。その細かな項目にその方は驚くほどあっていました。ご縁があったら、人と人のご縁としてお会いできる日がくるかもしれません。
パートナーという点では、意識をその方向に向ければ、これからでもそういう人と出会えるチャンスがあるということだと思います。
その人のパートナーが、私が後回しにしてきた豊かさを醸し出していました。私にはそういう生活をしたいという願望があった。それよりも仕事を優先させてきました。そのあとは年齢を理由に考えることもなくなっていましたし、誰かに想いを寄せることもありませんでした。
命があるうちに、私がその方向に舵を切れば、そういう生活ができるんだよというメッセージだと思います。
勉強も大事だけど、真の願い、後回しにしてはいけないよということに気づかせてくれたのだと思います。
満月は私にこのことを教えてくれたことのでしょうか。
もう一つは、SNSの怖さです。何度も書きますが、私はその人と会ったことも交流したこともありません。
SNSを実名で発信すること、自分の顔や関連する人の写真等、他人が判別できる身元を特定するに足る情報を載せることで、こうやって結びついてしまう。全く知らない人にここまで、情報を与えてしまうということです。これは私は恐ろしいことだと感じています。