今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

がっかりした人が教えてくれた自分の価値観


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 習い事の絵の教室では、オンラインのコミュニティーのなかで、みんながみんなに、可能な限り絵の感想を伝え合うことになっています。

 

 先生は感想も含めて絵に対する指導やアドバイスを、生徒同士は絵の感想をいうことで、絵を見ることが習慣になり、人の絵や先生のアドバイスから学ぶ、また、褒めあったり、励ましあうことでモチベーションを維持する。そのような効能があると私は感じています。

 

 絵がしっかり描けていたり、色の塗り方がきれいだったり、イキイキしている感じが伝わってくる等を伝えます。また、見続けているとできないことが少しずつできていく様子を感じ、自分事のように嬉しくなることもあります。(焦ることもあります)また、私の絵に対して、感想をもらったり、褒めてもらったり、反応をもらえると嬉しいものです。

 

 時間やこころの余裕がないときは、感想を伝えるのも大変なときもあります。ですが、長くても一日10分位の事、自分の気持ちの切り替えのためにも続けています。

 

 メンバーの中で、2人そのコメントをしない人がいます。1人は別の習い事で忙しくてコメントできずにすみません。と何度かお話になられていました。もう1人は、そのようなことは何も言いません。コメントを差し上げても、反応がないことも多いです。

 

 その方は、別クラスのあいさつはしっかりされていました。それを見てがっかりしました。このがっかりした気持ちから自分の価値観を感じました。

 

 自分の絵に対して、その方からコメントをもらったり、承認してほしいという気持ちはあまりなく、その方の絵に対して、少なくとも5~10分は考えて差し上げたコメントにリアクションがないことを残念だと感じました。これも自分場したことに対する承認欲求です。加えて、教室の運用ルール、いただいたコメントにはリアクションをしなければいけないという価値観を持っていることに気づきました。

 

 コメントを頂かなくなった最初のころは忙しいのかと思っていましたが、最近はもうコメントをされることもないのだろうと思っています。そうやって考えると、コメントをしてほしいと思っているのかもしれません。その方はまれに他のメンバーにコメントをするので自分は嫌われているのかなと感じる気持ちもありました。

 

 その方がコメントにリアクションをしない、他のメンバーにコメントをしない理由はわかりません。

 

 それなのに、コメントをすることがルールの環境で、コメントをされないことに対して、その人に対して「ちゃんとやっていない」とか「調子がいい人」と思ったり、「自分が嫌われているのかもしれない」とネガティブな思いを持っていました。

 

 そう思った自分も残念に思いました。ですが、感情に良し悪しはありません。そう思った自分をありのままに認めればよいのだと思います。ふと、他人の行動に感情を持つことはいたしかたないかもしれないけれど、それを評価したり、ネガティブにとらえて自分の気持ちを害することは本当に馬鹿みたいだと感じました。


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