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不可解な出来事から感じたこと


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 悩みに悩みぬいている間、目の前で不可解な出来事、何でそうなっちゃうの?と思うことがありました。

 

 理想に対して、いつ、どのような状態になっているか。ゴールの達成イメージと行程がわからない。多方面から検討、検証をしていないというか。そのこと自体にも、過程も不可解に感じました。

 

 また、人に対しても、どうしてそうなるの?と不可解に感じました。

 

 世の中で言えば、日本国内のコロナの感染者数は過去最大なのに、行動の規制はされていない。不可解なのは、行動の規制がなされていないという事実ではなく、なぜ行動の規制をしないのかそのことに対する明確な根拠や理由がわからなくその説明もない。それが不可解だと思います。

 

 私の物の見方が変わったから、このような現実が見えるようになったのだと思います。また、世の中の流れとしても、今はこういう流れなのかもしれません。

 

 この違和感なり、不可解な出来事というのは、自分に対して「何か大切なことに気づきなさい」というメッセージのようにも感じています。

 

 私の目の前で繰り広げられている不可解な出来事たちに対しては、私は「口を挟んでも仕方がない」と感じています。自発的に言うには及ばない。自分の発言が届く範囲ではない。そのことに気づいたというより腹落ちしました。

 

 自分に責任があることであればいうべきです。また意見を求められたなら伝えることに意味があるかもしれません。今回は私が感じただけです。

 

 自分の考えを他人が変えられないように。他人の考えを自分が変えることができない。言っても言わなくても結論は変わらない。他人が判断したことに対して、口を挟んでも仕方がないのです。また、口を挟むことが自分のためにはならない。

 

 また、往々にして不可解な出来事に遭遇するときには、自分の手には及ばない、すでにタイミングを逸していることもあるのです。

 

 時間の経過とともに、結果が出たり、いろいろなものが見えてくると思います。自分の見方が誤っていたら学ぶ。自分の見方を磨いていけばよいのだと思います。

 

 ここで言いたいことは、目の前で不可解な出来事が起きていたとしても、そこは自分と切り離して、影響を受けないと決める。

 

 自分の軸は失わずに、流れを見ていく。戸惑わされずに、自分を大切にする。それが大事だと思いました。


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