今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

卒業論文から見えた私の課題①


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 先日2回目のゼミナールがありました。1回目から約1ヶ月、朧げでも卒業論文のテーマを決めることが目標到達レベルでした。

 

 前回のゼミナール後に、科目習得試験がありました。8月受験をできなかったことを取り戻そうと勉強しました。その後は友人に会いに京都に行く。それは私には必要な時間で、そちらを優先しました。勉強不足を痛感した私は旅行後に12月の試験勉強を始め、実質卒業論文の着手はゼミナールの1週間前でした。

 

 ゼミナールでは、生徒がそれぞれの進捗やテーマ設定を説明、テーマに対して自分が持つ仮説を先行している論文や書籍等公表しているものを参考、引用しながら仮説を検証することが求められます。

 

同じことにつまづきました。

 

「何のために卒業論文を書くのか。卒業論文を書く上で譲れないものは何か」が明確ではありません。

 

 信頼する方からいただいた問い「何のために働くのか。働く上で譲れないものは何か」と同じ。

 

 私は、生きていくために必要なお金を得ること。それまでやりがい等を大事にしていた私からは180度転換した考え方。

 

 ここまで腹落ちするには、苦しかった。悩み抜いて得た腹落ち感、新しい価値観は、確実に新しい方向に歩き始めています。

 

 私がなぜ卒業論文を書こうとしたか。それは大学院に行きたくなったときのために必要な学びを習得したい。

 

 なぜ大学院に行きたいか。それは自分が心身のバランスを崩し、こころの世界を知りたい。幼い頃から興味があった心理学に興味がある。興味があることをやってみたい。また、心理療法を実際に学んでみたい。心理療法を体験したい。

 

 また、人生100年時代、今勤めている会社とは違う世界を見てみたい。自分が持つ能力や個を活かしたい気持ちがあります。会社を辞める理由が欲しい。もあります。

 

 今価値観がかわったことで、大学院に行く=会社を辞める→収入はどうなる。→心理職として働きたいのか。興味があることと興味があることを仕事をする。生きるために必要な収入をどうするか、混じり合い複雑化してしまいました。

 

 臨床心理士を目指した場合、人のこころを専門職としての責任の重さ、一人前になるまで時間がかかる知識や経験が追いつくのか等々も考えているのです。心理を学ぶことは仕事でないから良いとも思います。

 

 一方、一度限りの人生、やってみたいとなればそうは言わない。今を大切に生きる。数十年働いている自立した大人として、自分を叶えることはとても大事なことです。でもまだそこまでは思いきれません。

(②につづく)


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