今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

最善の人という言葉で表現したいこと


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昨日行動を起こすという記事の中で下記の文章を書きました。

pleasantbreeze.hatenablog.com

 

 自分の目の前に起こることは良いことも悪いことも必然と言います。自分が意識の向きを変えることになったことは、それだけを見ると悪くとても辛いことでした。ですが、その悪いことから今の自分に至るまでの過程を辿ると、最善の人たちに会えて、最善の対策がとれ今に至りました。最善の人に巡り合うことは、情報を収集する中で、取捨選択し行き着いた結果でした。自分が必要なものをちゃんと見つけ、最善のケースをつくれたのです。

(昨日の投稿、少し修正しました)

 

 昨日の記事では、「最善の人」と書いていました。、これは特定の人、正確に言えば、特定の人たちを指していました。

 

 心身のバランスを崩し、その回復過程において今の自分に至るまでの間にその分野で最善の専門家に恵まれました。それは本当にありがたいことです。

 

 その方面の専門家にあわせて、自分を取り巻く身近なプライベートな人間関係での支えもありました。余計なことを言わずに負担にならないように温かく接してくれました。それまでの付き合いから考えて、自分を気遣い大切にしてくれていることも感じました。

 

 また、大学の授業においても、1つの教科を複数の教員が担当されています。その中から、自分が選んだ道って教員の授業は、私にとって必要な気づきを促してくれるものでした。それは、心身のバランスを崩す前には無かった見方や考え方や新しい見方を知ることから深いところに響き、いままで持っていた認知のゆがみに気づきにもつながっていると思います。

 

 自分が問題にどれだけ向き合うか、問題解決は自分の努力、気力、体力が源泉になるもののそれだけではできない。まわりの人たちのサポートもあります。そのすべてがあっての今です。

 

 今自分があること自分が選択をしてきたことの結果でもあります。選択をしないことも選択だし、選択をすることも選択です。

 

 今どうありたいか、どうしたいかを少しずつ素直に実行していき、今の私・基盤が作られつつあります。その現在地とありたい姿、私を取り巻く環境をしっかりと見つめていく時が来た。と言うことが書きたいことでした。

 

 今日の内容も十分に抽象的で分かりづらいと思うのですが、昨日読み返して、ちょっと違うと思い似たような投稿となりました。

 

いつもお読み下さってありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


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