今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

お決まりの涙


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 世界ウルルン滞在記という番組がありました。

 

 主に芸能人が、外国の家にホームステイしその土地でしか体験できないこと、その土地の方達と交流する番組です。

 

 数日滞在する様子が時間軸にそって放送され、最後のコーナーは別れの朝というナレーションとともに始まります。

 

 別れの朝のコーナーでは、ホームステイを終え、ホストファミリーの家から出発するところ、そこでのホストファミリーとのコミュニケーションが中心に描かれます。ホームステイをした人、ホストファミリー、それぞれが涙を流しながら、感謝を述べ合いお互いの健康を祈り、再開を誓います。

 

 別れの朝という言葉。なんとなく、巣立つ、新しい一歩を踏み出すイメージがあります。別れは切ないですが、自立を伴う、前向きなイメージもあるように思います。

 

 別れの朝というと、私は実家に帰省し、自宅に戻る日のイメージがあります。私は、大人になってからも、親と離れるときに、必ずと言っていいほど涙が出ます。通常大人が実家に帰省し、その帰省から自分の地に戻るとき涙を流すことは少ないでしょう。

 

 親と離れる際に、涙を流さないこともあります。が、流すことの方が多いです。それは今でも。きっと、この涙は、私という人間を解く重要なファクターです。

 

 精神的に自立していないのかもしれないし、自分が子供の頃に抱いていた親への思い、きっと、もっと甘えたかった。いろいろなことを話したかった。今でもいろいろな話はしているのですけれど、今も話せていないような、親に対する自分の気持ち、感情等があるのだと思います。いわゆるインナーチャイルドの思いが、涙として表れているのだと思います。

 

 こうやって、1人でこのブログを書いていても目に涙がにじんでいるようにも感じます。

 

 以前信頼する方から「あなたが仕事でとっても頑張る、それは会社に認められることを目的としている。だけど、それは、会社ではなく親に対して『認められたい』という気持ちがあるのではないか。な会社に親を投影しているのではないか」と言われたことがありました。

 

 そう言われて、そのことと向き合おうとすると、頭の中がボワっと真っ白に、フリーズしました。まだ完全に解は導き出されていないけれど、そのように感じています。加えて、自分が自分を認めていないから、自己肯定をしていないから、親に認められようとする。会社に認められようとすることで、自分を肯定する。という側面があったように思います。実は親は私のことを認めているのに、自分が自分を認めていないということにも気づきました。

 

 お決まりの涙はまだ私にいろいろなことを教えてくれそうです。




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