今を大切に生きる

心豊かに生きていきたい

ほんの少しの気遣い


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 体調を崩していると心細くなるものです。そのようなときに一言「お加減いかがですか?」等気にかけて声をかけてもらえると、それだけで気持ちが明るくなることがあります。

 

 一方で、体調を崩していることを知っている相手が、「お加減いかがですか?」等の言葉をかけてくれないと、自分は軽んじられているんじゃないか。と思うこともあるかもしれません。私はあります。

 

 そんな時、自分以外に体調を崩している人がいたときに、常に「お加減いかがですか?」と声をかけてもらっているかというとそうではないと思います。声をかけられないことはイコール気に掛けられていないということではないということです。

 

 そして、自分が親しい人であったとしても、自分に余裕がなければ、仮に感じていたとしても声がけは後になる事もあります。また、声をかけない時もいます。また、相手によっては具合が悪かったとしても、声を掛けようという気持ちにならない人もいます。

 

 ほんの少しの気遣いは嬉しいものですが、それに一喜一憂する必要はありません。仮に他人が気遣ってくれることよりも、自分が自分に対して「ほんの少しの気遣い」ができるほうが大切だと私はもいます。

 

 自分の身体が悲鳴をあげているのに、それに気づかずに「これをやらなければ」「頑張らなければ」とやっていったら、身体はどんどんと疲弊していきます。仕事等で他人に認められようとしていたら尚更です。他人のために、自分の身体の悲鳴に気付かずにいたら、自分が自分ん対してほんの少しの気遣いができないでいたら、どんどんと自分は追い詰められます。

 

 私はここ数ヶ月自分の学びのために、だいぶ身体の無理を重ねていました。時にはネムイという時は寝たり、100点を目指さずに、自分の納得いくラインを目指す等適宜調整、工夫してやってきたものの疲れはたまっていました。

 

 ここにきて、2023年4〜9月の目標を達成できそうなことがわかってきたときに体調を崩しました。でもまだやりたいことがあるので、倒れて寝込むわけにはいかないので、休める時にたくさんダラダラし、みたいテレビ番組を見る、お風呂に入る等勉強をしない時間、頑張らない時間を作っています。これは頑張っている自分へのほんの少しの気遣いです。

 

 これを書きながら「ほんの少しではないかも」と思いました。日々、ほんの少しずつ気づきができていたら、ここまでまとまることもんかったのだと思います。

 

 ほんの少しの気遣いを自分に対してできるようになることはとても大切なことだと思います。


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