元日、2日と大災害が続きました。日本のみならず、世界にも衝撃が走りました。国連が「私たちの想いは日本の皆さんとともにある」とコメントを出しました。
一方で、今回の災害について、「大きな厄払い」という投稿があった。
災いが怒ったということは厄払いができたということ。さぁ、光よ地球に満ちよ
と書かれていました。
この方が書かれた言葉はその言葉が本来意味することではなく、このようなことを言いたかったのだと思います。災害に遭わなかった人は、災害に対して、暗い気持ちでい続けることではなく、災害復旧のためにできることをしよう。災害に遭われた方々がこの災害を乗り越えていくべくできることをしていこうと。
私はこの投稿をされた方の書籍を読み、心身のバランスを崩したときに、立ち直るきっかけの一つをいただきました。
気が沈む世の中に少しでも光を、自分で発する光が自分にも光となり帰ってくる。そうやって明るくしていこうと言いたいのだと思います。
しかし、この「厄落とし」、「厄払い」という言葉には違和感しかありません。もし、当事者の方がきいたら、どんな気持ちになるでしょう。怒りに近い違和感しか残りません。この言葉を選ぶことは残念でなりません。
もし、この言葉をそのような意味で使うならば、その災害で被害を受けた当事者の方だけだと私は思います。
甚大な災害で苦しむ人がいる中で。その災害を「厄落とし」「厄払い」ということに、違和感を持つのは私の価値観だと思います。この言葉に違和感を持たない人もいらっしゃると思います。
言葉というのは、発信するとその言葉が独り歩きしていきます。この言葉を読んだとき、受け取る側の価値観、環境、気持ちで受け取り方も変わります。
少なくとも人を不快にさせる言葉は選択したくない。大切なことを学びました。