私にとっては残酷な現実を目の当たりにしました。
以前相手を通じて見えたもので触れたTさん。Tさんは私が得たかったものを得ました。私は公表されるまで知りませんでした。ですが、Tさんの意志に対して、支援・関係していた人たちは、知っていたことでもあります。
少なくともTさんの意思を会社が評価したもの。本人は願いが叶いすこぶる喜んでいるでしょう。
私は素直に喜べません。むしろ、Tさんの働くことと会社に対しての執着を感じ、「気持ち悪い」と感じました。こう書くとTさんの喜びをひがんでいるように見えるかもしれません。その要素もあると思います。
冷静に見ても、真面目にやっている人で表裏なくかつ同じ土俵に立つ人から見たら腹立たしいことだと思います。(私は裏ルールで同じ土俵に立つこともない)。Tさんの現状はほかの人と違います。周り・会社・自分の状況を利用して、自分の利益につなげていると私は感じました。
もちろん、Tさんのちからがあります。はっきりと事情は書けませんが、フェアじゃない。
だいぶ受け流せるようになってきたものの、ひきづってしまい、大学の勉強が滞ってしまいました。私の中にTさんを入り込ませてはいけない。
無理に勉強をしようかと思いましたが、思いのままに嫌な気持ちを過ごしてみました。答えを探そうと思って、いろいろネット検索をしていて、見つけた言葉。
「相手を通じて、自分の観念を見ている」
どういうことかというと、自分が自分に対して、そう見ているという観念が自分を苦しめている。その観念が相手を通じて見えてきている。
うまく表せないのですがこれはとても重要なことのように感じています。
そう思ったら、心身のバランスを崩して、今こうやって生きている自分をほめたくなりました。このように自分を認めていとおしく思うことはとても大事なことだと思います。
うまくかけない。嫌なことがあってから回復するまでの時間は1/100に近いくらい早くなっているし、良くわからないけれど、気になる言葉の意味も分かるようになっている。もう少し自分を向き合うと、もっと生きやすくなるような気がします。